「通信あけのほし」275号を発行しました
支援者向けニュースレター「通信あけのほし」275号(9月26日号)を発行しました。
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最新号の275号(2023年9月26日号)より巻頭言と館長挨拶を以下に掲載します。
巻頭言 ともに暮らす家を大切に理事長 菊地功(きくち いさお)
今年の夏は、台風の影響が早くからあり、特にお盆の帰省時期に大きな影響がありました。洪水や土砂災害の影響を受けられた方々には、心よりお見舞い申し上げます。
線状降水帯という言葉も耳に慣れてきましたが、確かにこの数年、気候は荒々しくなり、かつて働いていた赤道直下のアフリカで雨期に見られたスコールのような激しさを見せています。温暖化による気候変動の結果、なのでしょうか。
気候変動の様々な影響が語られ、その原因が様々に取り沙汰される中で、2015年、教皇フランシスコは「ラウダート・シ」という文書を発表されました。この文書の副題は、「ともに暮らす家を大切に」とされています。広く環境問題に取り組むことが、神が創造され、人類にその管理を託された自然界を、養い育てる責務を果たすことにつながり、それは信仰上の責務でもあると強調されました。
教会がエコロジーの課題に真摯に取り組むことの大切さを強調される教皇フランシスコは、その啓発と霊的深化のため、毎年9月1日を「被造物を大切にする世界祈願日」とさだめ、さらに10月4日までを、被造物を保護するための祈りと行動の期間として、「被造物の季節」と定められました。
ここで教皇フランシスコが強調されるエコロジーへの配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めようとかいう単独の課題にとどまりません。「ラウダート・シ」の副題が示すように、課題は「ともに暮らす家を大切に」することです。それは、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に、ひとり一人が真摯に向き合うことに他なりません。
日本のカトリック教会は、同じ時期を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、さらに広い意味で、神が創造されたいのちを守り育むための取り組みを強化する時期としています。
教皇様が定めた今年のテーマは、「正義と平和を大河のように」とされ、特に水の問題に焦点を当てながら、環境に関するさまざまな不正義、たとえば化石燃料の無節操な消費や森林伐採が温暖化や水不足につながっている点を指摘し、「貧しい人や次世代の子らに対するこの不正義を止めるために声を上げましょう」と行動を求めておられます。
わたしたちがいのちを育むための場であるこの地球を、大切に守り育てる視点を回復したいと思います。
小学校の頃の思い出 館長 平井利依子(ひらい りいこ)
ボランティアさんと統合教育の話をしていた時です。
ふと、私の出身の小学校は聴覚障害の児童が通学していたなあと、思い出しました。
その小学校はわかくさ学級という、聴覚障害の児童の学級があり、3~4人在籍していました。学年はバラバラで、私は当時、小学校5年生くらいだったと思いますが、同じ学年の子はいませんでした。
わかくさ学級に通う児童の一人が近所に住んでおり、一緒に通学していました。その子は、多分3年生か4年生。1年生か2年生の妹がいました。この姉妹がとてもかわいいと全校児童から人気があり、お姉さんの方がわかくさ学級だと周知されて、いい意味でわかくさ学級は、児童誰もが知っていました。
よりわかくさ学級が認知されるきっかけとなったのは、「たて割り学級」という制度でした。同じ学年で固まらずに1年生から6年生までのグループを作り、レクリエーションを楽しんだり、工作をしたり、時には徒競走なども行っていました。わかくさ学級があったからこのような試みをしたのかはわかりませんが、このグループは高学年が低学年をリードして教えたり、また低学年は、先生に聞けないようなことを高学年のお兄さんお姉さんに聞いたりして、とてもバランスがよく、楽しかった記憶があります。当然、わかくさ学級の児童たちも参加しました。しかも特別感は全くありませんでした。私が覚えているのは、聴覚障害の児童がいるにもかかわらずじゃんけんをする子に、違う学年の子が「そうだ」と言って、じゃんけんに参加できずにいた聴覚障害の子に笑顔を向け、手拍子をしたことでした。音は聞こえなくとも、そのジェスチャーで出すタイミングがわかり、みんながじゃんけんに参加できたのでした。私はそれをみているだけだったのですが、自然に「そうか~」と思いました。先生が指示しなくても、その場の仲間の知恵や工夫で自然と仲良くなれることは、その後の障害者等の接し方に影響があるのではないかと思いました。
私が小学校の頃といえば、今から50年近くも前のことです。当時は、まだ家族が障害を持った身内を隠す時代でした。でも、私は近所のかわいい姉妹と普通に遊んでいたし、障害を持った友達を特別に思ったことはありませんでした。自然に日常に溶け込んでいた気がします。今でいう「共生社会」です。そして、改めてすごいなと感じたのは、当時の小学校の先生たちです。もちろん、わかくさ学級には担任の先生がいたとは思うのですが、たて割り学級で活動していた場面を思い出すと、どの先生も聴覚障害の児童たちと関わっていました。
近所の聴覚障害のお友達は、同じ学区内の中学では聴覚障害学級がなく、隣の学区の中学校へ行きました。その後、彼女の家族は引っ越してしまったので、それ以来会っていません。元気でいてくれたら嬉しいなと懐かしく思っています。