「考える図書館」〜一人ひとりの心によりそって〜

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ニュースレター「通信あけのほし」

当館支援者向けに年4回、ニュースレター「通信あけのほし」を発行しています。
※ご支援については「ご支援のお願い」をご覧ください。

最新号の269号(2022年4月19日号)より理事長の巻頭言と館長挨拶を以下に掲載します。

 巻頭言 平和を求めて   理事長  菊地功

「平和によってはなにも損なわれないが、戦争によってはすべてが失われうる」
1939年8月24日、第二次世界大戦の前夜、ナチスドイツによるポーランド侵攻の直前、ローマ教皇ピオ12世はラジオメッセージを通じて、世界に向けてこう語りかけました。当時の状況を彷彿させるいま、この言葉が心に突き刺さります。
キューバ危機が核戦争の可能性を現実とした直後、時の教皇ヨハネ23世は回勅「地上の平和」を発表され、そこに、「武力に頼るのではなく、理性の光によって──換言すれば、真理、正義、および実践的な連帯によって(「回勅 パーチェム・イン・テリス─地上の平和」62)」、国家間の諸課題は解決されるべきであると記しました。
ウクライナにおけるロシアの軍事侵攻という現実を目の当たりにして、国家間の紛争の解決を、神からの賜物であるいのちを危機に直面させ、人間の尊厳を奪うであろう武力に委ねることはできないと、カトリック教会はあらためて主張します。
教皇ヨハネ23世は、「地上の平和」を次の言葉で始め、カトリック教会が考える「平和」の意味を明らかにしています。
「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」
つまりカトリック教会が語る「平和」とは、単に戦争のない状態を指しているのではなく、神の定めた秩序が実現している世界、すなわち神が望まれる被造物の状態が達成されている世界を意味しています。その達成には、日々の努力が不可欠です。
「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と、広島から世界に向かって平和を力強く呼びかけられた教皇ヨハネパウロ二世は、2000年1月1日の世界平和の日のメッセージにこう記されました。
「平和は可能です、と断言します。平和は神からのたまものですが、同時に、神の助けを受けて正義と愛のために働くことによって日々築いていくべきものでもあります」
国家の間にはさまざまな課題があり、その解決は、実際に政治に関わらないわたしたちが思うほど単純なものではないことでしょう。一朝一夕に世界の平和が実現することは不可能だとしても、わたしたちは誠実に、日々、「正義と愛のために働くことによって」、平和の実現を目指して歩んでいきたいと思います。

 一期一会の隣人      館長  西田友和

先日、小学生の娘と外出したとき、オートロックの玄関先で見知らぬ人に声を掛けられました。
「郵便……ポストは……どこですか?」
話し方から外国語を母語としている方のようで、自分も娘も相手の意図していることがすぐには呑み込めませんでした。手元の端末で懸命に何かを調べていらっしゃる様子でしたが、出てくる言葉は同じ。「郵便ポスト……どこ……」。視覚障害者と子供に助けを求めるぐらいですから、相当困っているらしいことは明らかでした。
「困ってるみたいだよ」
気まずい沈黙を破るように、娘が肘で執拗に僕の体を突いてきます。何とかして、ということなのでしょう。こうなったらもう後には引けません。勇気を振り絞って英語で事情を聞いてみました。
相手の方は言葉が通じると分かるとものすごく安堵されたようで、それまでとは打って変わって滑らかに事情を話してくださいました。この建物に住んでいる友人を訪ねたのだが不在だったので届け物とメモを郵便受けに入れて帰りたい、でもそれがどこにあるのかが分からず困っている、と。
「I see …」
事情は概ね理解できました。しかし困ったことには自分も郵便受けの場所を知りません。そこで今度は娘に日本語で相談し、その方を郵便受けまでご案内することで話がまとまりました。
「説明してくだされば一人で行けますよ」
お気遣いいただいたものの、娘の道案内を通訳する方がよほど大変なので、「大丈夫、ついてきてください」と押切り、結果、お世辞にも見事とは言えない連係プレーながらも、その方のお役に立つことができました。障害があると周囲の方から温かい善意を受けることがよくありますが、自分が助ける側になることはめったにないので新鮮な経験でした。
一人で外出する際、見知らぬ方に声を掛けていただくことは珍しくありません。そのたびに、感謝の念を抱くとともに、自分とは直接関係のない他人をどうして助けることができるのだろうと不思議に感じていました。でも、善きサマリア人のたとえを引くまでもなく、目の前で困っている人がいて、「自分とは関係がない」と素通りする人ばかりだとしたら、それは本当に悲しい社会であるようにも思えます。
人は人との関係の中で生きています。あるいは新たな関係が生まれることで人は他人から隣人になるとさえ言えます。そしてそれは面倒なことどころか、むしろお互いにとって喜びをもたらすものであるはずです。
その方とお会いすることは二度とないかも知れませんが、不器用な親子のことを何かのタイミングで思い出してくれたなら、きっと社会は今より明るいものになる気がします。一期一会の隣人を、これからも大切にしていければと願っています。

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